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定年後に1から始めて一流学者になる方法/鷲田小彌太

(別に学者になりたいわけではないが)「定年後に1から始めて一流学者になる方法」というタイトルに惹かれてしまった。

本書はタイトルの通り、定年後に学者になるためのノウハウが書かれている。著者は、元札幌大学教授の鷲田小彌太氏。著者の専門は哲学であるが、平成3年に「大学教授になる方法」を出版して話題になった。「大学教授になる方法」の続編と考えていいだろう。

Wikipediaによると学者とは

「学者とは、大学の専任教員、研究機関や研究所の専属研究員、博物館の専属学芸員といった職業研究者を指す。...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E8%80%85:wikipedia学者

上記の言い方からすると、大学など何らかの機関に属している必要がある訳ではないようだ。職業研究者という言葉尻だけ捉えれば、研究によって何らかの収入があれば学者を名乗ることができる。

それは、研究結果を掲載したブログからの広告収入であっても、収入を得ているのだから(自称)学者とは名乗れそうだ。

ただし、本書では、そのような「自称学者になりましょう」と小さいことを言っているのではなく「一流学者になりましょう」と言っている。

一流学者の条件とは何なのか?本書によると一流の学者とは、

  • 学会から認められる
  • 著作を出す
  • 自己評価ができる

ということである。

研究成果を文章にまとめ、それらを学会で発表したり、書籍として発売したりする。研究成果に酔うことなく、作成した文章が社会に与える影響を客観的に判断する冷静さも必要ということだ。

研究は最低でも10年。一日に8時間の研究活動が必要だ。最初の3年で得意等する分野を確立し、その後は年に1冊程度の著作を発表する。

インプットを10としたらアウトプットは1程度。
とにかく資料を読みあさることが重要だ。読みこんだ資料を自分なりに咀嚼し、新たな見識を加えていく。それはそれは大変な作業であると筆者は言う。

通常の学者が何十年もかけて研究する分野を定年後、たった10年で追いつこうというのだから、簡単なわけはない。

現代の雇用は不安定だ。
何十年も同じ企業で実績を重ね、名刺を出すだけで相手が信用する企業に努めていたとしても、その会社をやめてしまえば、ダタの人以下の扱いを受けなければならない。

「何をしていました」は全く意味がない。現代は「何ができます」を明確に答えることができなくてはいけない。

企業という後ろ盾を失ったオッサンが、社会で生きていくには、知識という後ろ盾が必要だ。
学者になる必要などはない。ただ、一流の学者になるためには、どのような心構えが必要で、どのような学習方法があるのかを知る手がかりとして、将来に不安を持っているオッサンにはぜひとも読んでもらいたい書籍である

もう、地位や実績にあぐらをかいていては生きてはいけない。これからのオッサンは学者のような知識人であらねばならないと思う今日この頃なのだ。