私たちが知っている、伊藤みどりさんはアルベールビルオリンピックで銀メダルを獲得して引退するまでです。
その後、伊藤さんが何を考え、何をしてきたのかはあまり知られていません。
本書には、アスリート「伊藤みどり」の軌跡と、引退後の人間「伊藤みどり」が書かれています。
2011年、元フィギュアスケート選手の伊藤みどりさんは、「ISUアダルト・フィギュアスケーティング・コンペティション」という、フィギュアスケートの国際大会に出場しました。
この大会は、元フィギュアスケート選手や大人になってからフィギュアスケートを習い始めた愛好者のための大会です。
伊藤さんは、「エリート・マスターズ」というクラスで、堂々の2位という結果に終わりました。
以下は、その時のビデオです。
本来は、規定上7回飛ばなければいけないジャンプを「飛びたくない」という理由で2回しか飛びませんでした。
しかし、氷上の伊藤さんは楽しそうで、優雅で気品にあふれています。
キスアンドクライでの伊藤さんの表情からは、やりきった充実感がひしひし伝わってきます。
これは伊藤さんが、誰のためでなく、自分のためだけに滑ったからなのでしょう。
アスリートに対するマスコミの扱いは、いつも非情なものです。
特にオリンピックイヤーは、過剰ともいえる期待を有力アスリートに寄せます。
オリンピックに出場するのは、ほとんどがアマチュア選手。
普段は、ほとんど報道されることがないに、突如、自身の名前がマスコミを賑わすのです。
それは、相当なプレッシャーでしょう。
現在は北島康介や為末大を筆頭にメンタルの強いアスリートが出てきましたが、多くのアスリートは国民の期待に押しつぶされるように、ふるわぬ結果を残して、オリンピックから帰ってきます。
本書の主役である、伊藤さんは、誰からも金メダルを期待されていた最高のアスリートでした。
実力は飛び抜けていた筈の伊藤さんですが、2度のオリンピック出場で、金メダルを獲得することはできませんでした。
「期待に応えなければならない」というプレッシャーから、オリンピックでは体調不良に襲われていたのです。
引退後に進んだプロフィギュアスケートでも、お客さんを楽しませなければいけないという気負いが、常に心と体を疲弊させていました。
フィギュアスケート引退後は、自分探しをするかのごとく、さまざまな資格や習い事に手を染めます。
フィギュアスケートのない自分に、相当の頼りなさや不安感を感じていたに違いありません。
アスリートは、常に孤独です。
引退後はプレッシャーから解放され、自由を手に入れるというわけではないようです。
引退後は、経済的な不安や、競技しかできない自分に悩まされるのです。
キスアンドクライの伊藤さんの笑顔は、自分を縛っていた、さまざまなものから解放された笑顔なのです。
頂点を極めたアスリートにしか見えない風景と引退後の苦悩。
アスリートのセカンドキャリアは私たちが考えている以上に繊細なのです。
- 作者:野口 美恵
- 発売日: 2011/12/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)