タイに渡った鑑識捜査官/戸島国雄

TBSラジオのDIGで、カンニング竹山さんが紹介していた1冊。
本書は、日本での鑑識捜査の第一人者である戸島国雄さんが、JISAの専門官としてタイに派遣された際の手記だ。

著者の戸島国雄さんは、1995年にタイ警察に派遣される。
派遣の目的は、タイ警察に鑑識捜査の指導にあたるためである。

派遣されたタイは、鑑識捜査が進んでおらず、現場捜査員の認識も低いものであった。
事件発生後に現場に到着すると、現場は既にボランティアの葬儀団やマスコミにあらされ、現状の保全はまったくといっていいほど行われていなかった。
事件現場の規制線(ポリスライン)を張るなど、日本では当たり前に行われている基本的な活動も、タイでは行われていなっかったのだ。

意識のズレもあり、赴任当初はタイ警察の幹部、現場担当者の理解が得ることができずに悶々とした日々を過ごす。
また、話を素直に聞き入れてもらえる信頼関係は皆無であった。
これは、自分自身に教えてやるという気持ちのおごりがあるからだと認識した著者は、それから「教えてやる」という態度をあらためる。
タイの捜査官と一緒に現場に出向き、率先して行動し、共に働くという姿勢を示していくことで、タイの関係者の意識も変わっていく。
現地の言葉を覚え、同じ水を飲み、現地の捜査官と共に食事をした。
ときには、死の淵をさまよう食あたりを起こしたりもしたが、自分を特別あつかいせず、同化することで大きな信頼を勝ち取る。

著者は、タイ警察に合計2度派遣されている。
1度目は1995年からの3年間、JISAから派遣。
2度目は、警察庁を定年退職してシニアボランティアとして、2002年から2011年まで赴任する。
2度目の派遣はタイ警察からの強い要請もあっての実現であった。

2度目の赴任ではスマトラ沖地震と軍によるクーデターを体験する。
スマトラ沖地震では、3ヶ月間にわたり、被災地で遺体の指紋収集にあたった。
タイでは15歳になるとIDカードを作成し、一緒に指紋を採取する。したがって、指紋があれば身元確認をは容易なのだ。
当初は遺体から丁寧に指紋採取を行っていたが、日々増え続ける遺体は、従来の指紋採取方法で処理できるはずではなかった。
次々と腐敗していく遺体に著者が取った方法は、遺体から指を切断または指紋の皮膚をはぎ取り、指紋を採取することだった。
もちろん、指を切断することは、人道的見地から考え多場合、決してすばらしい行為ではない。
しかし、著者のの使命は、一日でも早く遺族に遺体を渡すことだ。
腐乱が進んだ遺体を、遺族に渡してはいけないとの強い思いが、指の切断を決断させた。
任務の実行に当たり、タイ人の部下には、自分がすべての責任を持つからと約束し、任務を遂行する。

3ヶ月間で採取した指紋は、2000体以上。
ろくに風呂にも入れず、腐乱したにおいの中での活動は想像に絶するものだ。
責任感と実行力。
責任をともなった実行でなければ、人は決してついてくることはない。

熱い気持ちをともなう行動は、国境を越えても伝わるものなのだ。

タイに渡った鑑識捜査官

タイに渡った鑑識捜査官

  • 作者:戸島 国雄
  • 発売日: 2011/09/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)