1993年の女子プロレス/柳澤健

現在のプロレス人気凋落の原因は、この時代の女子プロレスにあると確信した。

残念だけど、基本的にプロレスはガチンコ(真剣勝負)ではない。
農耕民族である日本人には、狩猟民族のためのガチンコ総合格闘技は、生理的に合わないのだ。
ガチンコ総合格闘技は、最終的に凄惨な殺し合いになる。弱いものが一方的に痛めつけられる展開は悲惨だ。
そこには、強いものが勝ち、弱いものが負ける、何の意外性もない結末が待っている。

日本人は基本的に「弱きを助け、強きを挫く」が大好きだ。
強いものが、いつも強いという絵を好まない。勝負の中にドラマがないと生理的に受け付けない民族だ。
絶頂期のアントニオ猪木は、常にやられて魅せた。
試合の序盤は、徹底的に相手に痛めつけられる。
KO寸前の絶体絶命のピンチというときに突如として反撃を開始し、怒りの鉄拳を相手に浴びせる。
そして最後は、卍固めコブラツイストで仕留めるのだ。息も絶え絶えの猪木は観客に右手を突き上げる。
「ダッ〜〜〜〜!」
そんな猪木にみんな熱狂したんだ。猪木のプロレスはいつもスペクタクルに満ちていた。

馬場と猪木の亡き後、プロレスは混迷を極め、人気の凋落は著しい限りだ。
現在のプロレス界は、スーパースターの登場をただ待ち望んでいるだけ。
これは、クラッシュギャルズ引退後の全日本女子プロレスの無策ぶりに近いものがある。
ハッスルが受けたのは、そこにドラマがあったから。
ただ、このドラマのレベルは学芸会程度。最後は「おちゃらけ」が過ぎて自爆してしまった

1993年に人気のピークを極めた女子プロレスは、常にガチンコだった。
強いものが、弱いものを徹底的にたたきつぶす。
それまで、男子プロレスで両者リングアウトなどの煮え切らない試合を見せられていたプロレスファンが熱狂しないはずがない。

1990年にブル中野が金網の最上部から放ったダイビング・ギロチンドロップは、過激な女子プロレスの始まりの合図だった。
数々の過激な名勝負を提供した女子プロレスは、1995年の北斗晶の全日本女子プロレス退団ともに衰退の一途をたどっていく。

過激なものは、熱狂的に迎えられるが時間ともには飽きられていくのが運命だ。飽きられないために次の試合は、もっと過激にしなければならい。
「もっと」が「もっと」を呼び、期待を詰めて膨らんだ風船は突然に破裂する。

女子プロレスの過激さだけに飽き足らなくなったプロレスファンは、男子プロレスにも過激なものを求めた。
それが、高田延彦率いるPRIDEだった。最初こそ、ファンは熱狂したが次第に飽きて離れていく。殺し合いはエンターテイメントにはならないのだ。
一度、殺し合いを見たファンは二度とプロレスに戻ることはなかった。

これがプロレス人気凋落の原因だ。

本書は、人気絶頂時の女子プロレスを支えた選手たちのインタビュー集。あの時代にヒロインたちは、何を求めて何を見ていたのか?
そこには、スポーツの健全さや美しさはない。意地と憎しみに満ちあふれている。
しかし、それ以上に頂点の登りつめたいと未来を期待するキラキラの気持ちがあふれているのだ。

1993年の女子プロレス (双葉文庫)

1993年の女子プロレス (双葉文庫)