私は正真正銘の日本人である/日本人辺境論

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

  • 作者:内田 樹
  • 発売日: 2009/11/16
  • メディア: 新書

日本人辺境論は「日本人とは辺境人である」ということを主題に、日本人とは何者であるかを考察した書籍だ。
本書内の日本人論は、どうも、私のことであるようだ。

私は、以前より、自分自身の特性で不思議に思うところがあった。

それは「なぜなんだろう?」と疑問に思わないことことである。
他人と比較しても、この「なぜなんだろう?」という根本的な質問が非常に少ない。
一般生活をしている上では、「きちんと言うことを理解する」という評価になるが、ビジネスとなると「なぜなんだろう?」という質問が出せないと、そのビジネスが持つ根本的な問題を解決できないことになる。
ビジネスを行う上での私にとって、これは非常に深刻な問題である。

私は「きょろきょろ」している

私は、月に30冊程度の本を読む。
「本を読む」という行為自体を好きかと問われたら、その答えは「実はそうでもない」であったりする。
では、なぜ本を読むのかというと「自分に自信が持てないので、本の中の知識を吸収することで、自身の足りない部分を補完しようとしている」が理由なのだ。
だから、私は常に本屋を徘徊し、自分が足りないと思う分野の本を見ると買わずにはいられなくなる。
本書においては、このような行為を「きょろきょろ」していると表現している。
まさにその通り。私はいつも「きょろきょろ」しているのだ。

日本人は、日本人の文化論を語り尽くしても、すぐに忘れ、次の日本人文化論にすぐに飛びついてしまうと本書では言っている。

それは、日本についてほんとうの知は「どこかほかのところ」で作られていて、自分が日本について知っていることは「なんとなくおとっている」と思っているからです。

これは、まさに「我が意を得たり」の一文である。
私は、いつも自分が劣っているのではないかとに悩まされ続けていた。どこかに真理があり、その心理を自分は知らないだけなのではないかと。
だから、いつも「きょろきょろ」して知識を追い求めているのだ。

私は成り立ちを理解していない

「弊社では昔からそうなんです」
この言葉を聞くと、私はよく「思考停止状態」になってしまう。
「ああ、そうなのか」と。
「昔からそうです」では、良い悪いの判別ができない。その言葉の裏には、昔からそうだから、問題は無いということなのだと考えてしまう。
こう考えてしまったら、私はもうダメだ。それ以上、踏み込んで聞くことができなくなる。

しかし、日本人は「どうしてこうなったのか」についてはなぜか問わない。そして、「いつからかは知らないけれど、そう決まっているのだから、その通りにしよう」と考える。

しかし、ビジネスの世界で、これがいいとは言えない。

本書内では、日本の国旗と国家について言及している。
実は、「君が代」の作曲はイギリス公使館の音楽楽長が「ヨーロッパはみな国家を持っているが、日本がないのはおかしい」との発案で、この音楽楽長が作曲したのが発端になっているとのこと。

この国号が選ばれ、この国旗が選ばれ、この国家が制定されたのには、それなりの歴史的条件が整っていた。その判断はおそらくその時点で最適解であった。そのことについての国民的な合意を常に形成しておくべきではないか。

結果から過去を追っていくと、課程よりも、そもそもの発端に問題が見つかることが多々ある。
「なぜそのような方法を採用したのでしょうか?」
この一言を言えない自分がもどかしい。

私は「なあなあ」を好む

原因を突き詰めていくと、誰かが悪者になってしまうことがある。
自分では、一生懸命やっているのに、意図ぜずに悪い結果を作り出してしまうことだってある。そのような場合、私は、ことを「うやむや」にしてしまいたい衝動に駆られてしまう。
それは過去に、行動について注意していたつもりが、人格を責めていたことがあったからだ。
それ以来、問題があっても、直接的には言わずに雰囲気で理解させようとしている自分がいる。
それは、後に「あの時は、あなたの問題を追及しなかったよね」と知らず知らずに、相手を見下し、威圧的な態度に出てしまうという恥ずべき行為種を植え付けてることに他ならない。
相手も、そんな空気感を十分に理解し、何となく従う空気感が形成されてしまうので始末が悪い。

書き手の人称代名詞や常体敬体の使い分けで、書かれるコンテンツまで変わってしまうと私は書きましたけれど、それは言い換えると、日本語ではメタ・メッセージの支配力が非常に強いと言うことです。

暗黙の了解というやつだ。
「昔からそうなんです」もこの暗黙の了解に近い。
明文化されていないルールはやっかいだ。暗黙のルールの罰則規定も暗黙の中に存在する。闇は上下関係を生み、無言の威圧やいじめの温床にもなりかねない。
言葉に出す、文章にする。これはとても重要な行為だ。

私は辺境人なのだ

私を含めた日本人は、周りとの精神結合で、自らのアイデンティティを確立してきた。自分はちっぽけだが、周りと共存していくことで、自信の存在価値を認める。
そして、いつも逃げ道だけは確保していく。
すばらしいアイディアは自分から生まれるわけではないので、アイディアに問題がある場合は、アイディアの出元に責任を負わせればいいのだ。
だから、私は辺境人なのだ。